2010年1月2日土曜日

第15回 ラフォーレ原宿・松山

LAFORET HARAJUKU MATSUYAMA
[image: "LAFORET HARAJUKU MATSUYAMA" on flickr, by ida-10]



LAFORET HARAJUKU MATSUYAMA
[image:"LAFORET HARAJUKU MATSUYAMA" on flickr, by ida-10]




ラフォーレ原宿・松山は、1983年にオープンし、2008年1月に閉館したファッションビルです(東京・原宿の商業施設「ラフォーレ原宿」の系列)。松山市の中心商店街である「大街道」の入り口に位置し、賑わいを見せていた施設のひとつで、松山の若者を中心とした待ち合わせスポットとしても定着しています。

それだけに、松山の人々にとってラフォーレ原宿・松山の閉館は衝撃的な出来事でした。大街道商店街の人通りも、閉館後から減少したという報告もみられます。


この建物の閉館については、所有者(のひとつ)から次のようなリリースがありました。

当館の建物は、最も旧い部分(第一期部分)で昭和43年築となり、いわゆる旧耐震設計に基づく建築物です。このたび、耐震診断を実施した結果、当社といたしましては、ご入居者(テナント)ならびにご来館されるお客様の安全確保の観点から、当館の営業を継続するべきではないと判断いたしました。
森ビル株式会社 プレスリリースより(※現在リンク切れ)


また、この建物の閉館後については、取り壊しの上、新たな施設の建設を計画している模様です。

閉館した松山市一番町の商業施設「ラフォーレ原宿・松山」の跡地利用について、運営会社の森ビル(東京)が、新たな商業施設の建設計画に着手することが分かった。計画案の中には、商業施設とホテルを合わせた地上13階建ての複合ビルも含まれている模様。

毎日新聞 2009年11月27日 より(※現在リンク切れ)


2010年現在は、取り壊しを待っている状況です。新たな商業施設の建設が待たれていますが、このオレンジ色の外観が見られなくなるのもそう遠い話ではないでしょう。現在見られる外観デザインは2003年の改装によるもので、愛媛のみかんを思わせるオレンジのストライプが、キャッチーでインパクトのある表情を生み出しています。



改装デザイン:クライン ダイサム アーキテクツ(KDa)
改装:2003年
所在地:愛媛県松山市一番町2−3(地図
主要用途:商業施設

2009年11月6日金曜日

第14回 愛媛教育会館

Ehime Education Hall
[image: "Ehime Education Hall" on flickr, by ida-10]



Ehime Education Hall
[image: "Ehime Education Hall" on flickr, by ida-10]



Ehime Education Hall
[image: "Ehime Education Hall" on flickr, by ida-10]



Ehime Education Hall
[image: "Ehime Education Hall" on flickr, by ida-10]



この建築の特徴を捉えるにあたり、まず、建築の「様式」について見ていきたいと思います。

世界各地の建築には、それぞれの地域の宗教、気候、文化、社会的な要請等、様々な背景から多種多様な「様式」が生み出されています。そうした様式は歴史的にも変化を続け、例えば西洋建築を取り上げても、ゴシック、ルネサンス、バロック…など歴史の流れに伴って様式が変化していることが見て取れます。

そうした様式に世界的に大きな変化が訪れたのが、19世紀末から20世紀にかけての近代化に伴って登場した「モダニズム建築」と呼ばれるものです。日本では明治時代から大正時代に当たりますが、この時代には日本にも鉄筋コンクリートの技術が伝来し、現代の建物にも通じる近代的な建築が建設されるようになりました。つまり、白くて装飾の無い「箱」のような「モダニズム建築」が日本でも見られるようになりました。

しかし昭和に入り、日本ではこのモダニズム建築に対抗した様式が見られるようになりました。1930年代の一時期にみられる「帝冠様式(ていかんようしき)」です。帝冠様式は、明治以降に建てられるようになった、鉄筋コンクリート造の「モダニズム建築」の上に、日本的な「瓦屋根」を乗せた様式で、代表的なものに、東京・上野の東京国立博物館などが挙げられます。

昭和に入ってから帝冠様式が見られるようになった理由には諸説ありますが、「鉄筋コンクリート+瓦屋根」という外観からちょっと変わった印象を受けるのは確かです。

前置きが長くなりましたが、「愛媛教育会館」もそうした「帝冠様式」の特性を受け継ぐ貴重な建築といえます。現代的な「箱」の上に屋根が乗せられた外観。建てられたのも1937年ですから、帝冠様式が建てられた時代にちょうど合致します。

しかし、この愛媛教育会館は他の帝冠様式の建築とは少し異なっているようです。

というのも、この建築は「木造」による建築だからです。帝冠様式は「鉄筋コンクリート造」である、というお約束がありました。この建築もパッと見たところ鉄筋コンクリート造の建築に見えますが、実際は木造であるようです。さらに細かく見ると、屋根も「瓦」屋根ではなく金属板によるものです。

帝冠様式の建築というだけでもなかなか珍しいものですが、「帝冠様式」と見せかけて実は木造3階建ての建築、というのはかなり貴重な存在なのではないでしょうか。階段まわり、ホール、装飾的な照明など内部にも見所がいっぱいです。



設計:浅香了輔(愛媛県技師)
所在地:松山市北持田町131-1(地図
主要用途:行政施設
階数:地上3階
竣工:1937年
登録有形文化財

2009年9月29日火曜日

第13回 愛媛県美術館

The Museum of Art, Ehime
[image: "The Museum of Art, Ehime" on flickr, by ida-10]



The Museum of Art, Ehime
[image:"The Museum of Art, Ehime" on flickr, by ida-10]



The Museum of Art, Ehime
[image: "The Museum of Art, Ehime" on flickr, by ida-10]



愛媛県美術館は、松山城跡内(三之丸)にある美術館です。ここにはかつて、丹下健三が設計した「愛媛県民館(1953年竣工)」が建っていました。丹下健三設計の建築が取り壊されたことは残念ですが、その跡地に建てられたこの愛媛県美術館も、見所の多い建築といえるでしょう。

エントランスロビーの空間、そこには設計者が「宝石箱」と見立てた展示室が空中に浮かび、浮かんでいる展示室と展示室の間を、動物の背骨のようにも見える通路が繋いでいます。

この建築は周辺の環境をうまく利用した建築ともいえます。まず、エントランスロビー正面には樹齢130年を超えるクスノキが茂っていますが、空間はその木々を中心として構成されています。この美術館を訪れるとどこか落ち着く気がするのは、このクスノキの存在と、このクスノキから落ちる木漏れ日によるところが大きいように思います。また、2階の展望ロビーからは、眼前に広がる城山の緑と松山城を見渡すことができます。松山市内には松山城を鑑賞できるポイントがいくつかあるように思いますが、そのひとつといえるでしょう(「愛媛県庁舎」も見えます)。

展示構成としては、モネやボナールなどの常設展が中心となっています。郷土出身のグラフィックデザイナー、杉浦非水のコレクションや足あとが充実しているのも特筆すべきでしょう。


設計:愛媛県土木部+日建設計
所在地:松山市堀之内(地図
主要用途:美術館
構造:プレキャストコンクリート圧着工法、鉄筋コンクリート造、鉄骨造
階数:地下1階、地上3階
竣工:1998年
建築面積:3,519m2
延床面積:10,920m2

利用案内:
開館時間:9:40~18:00 (入室は17:30まで)
閉館日:月曜日(ただし毎月第一月曜日は開館、翌火曜日が休館)、年末年始
外部リンク:愛媛県美術館

2009年8月29日土曜日

第12回 愛媛県総合科学博物館

Ehime Prefectural Science Museum
[image: "Ehime Prefectural Science Museum" on flickr, by ida-10]


愛媛県総合科学博物館は、様々な体験を通して科学に関する知識を学べる博物館です。設計したのは、都知事選・参院選への出馬も記憶に新しい、故・黒川紀章(1934-2007)。日本を代表する建築家のひとりといっていいでしょう。東京・六本木の「国立新美術館」も氏の作品のひとつです。


Ehime Prefectural Science Museum
[image: "Ehime Prefectural Science Museum" on flickr, by ida-10]



Ehime Prefectural Science Museum
[image: "Ehime Prefectural Science Museum" on flickr, by ida-10]



Ehime Prefectural Science Museum
[image: "Ehime Prefectural Science Museum" on flickr, by ida-10]



近未来的な外観は、円錐(えんすい)形のエントランス、球状のプラネタリウムなどの幾何学のボリュームから構成されています。

中でも円錐形のエントランスはこの建築の最大の特徴です。円錐形のボリュームは、建物の入り口であり、それぞれの展示室を繋ぐスロープとなっています。さらに水面に浮かぶようなプラネタリウムへも、この円錐形のボリュームの地下からアクセスします。つまりこの円錐は、博物館の起点と終点であり、人々の移動の動線を可視化したものでもあるわけです。

休日などには、この円錐に人が集い、そして人々がスロープをくるくると回る光景が目にされます。黒川は様々な建築で円錐を用い、そしてそれぞれの円錐に意味を与えました。この博物館の円錐は、黒川の多くの建築の中でも「楽しい」ものといえるように思われます。


設計:黒川紀章建築都市設計事務所
所在地:愛媛県新居浜市大生院2133-2(地図
主要用途:博物館
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造 一部鉄筋コンクリート造 一部鉄骨造
階数:地下1階 地上6階
竣工:1994年
建築面積:10,539m2
延床面積:24,290m2

利用案内:
開館時間:9:00-17:30
閉館日:月曜(ただし第一月曜は開館し翌日休館)、年末年始、その他臨時休館日あり
外部リンク:愛媛県総合科学博物館

2009年8月21日金曜日

第11回 別子銅山記念館

Besshi Copper Mine Memorial Museum
[image: "Besshi Copper Mine Memorial Museum" on flickr, by ida-10]



Besshi Copper Mine Memorial Museum
[image: "Besshi Copper Mine Memorial Museum" on flickr, by ida-10]



Besshi Copper Mine Memorial Museum
[image: "Besshi Copper Mine Memorial Museum" on flickr, by ida-10]



別子銅山は新居浜市(旧・別子山村)の山ろくにあった銅山で、江戸時代(1690年)から1973年までの約280年間にわたり銅が産出されました。開山以来、一貫して経営したのが住友家で、これが現在の住友グループの礎(いしずえ)となり、新居浜市の発展のみならず、日本の近代化に寄与しました。

かつて別子銅山のあった山ろく部への入り口にあるのが大山積神社で、これは銅山の開山に伴い、大三島(今治市)より分霊され建立されたものです。「別子銅山記念館」は、別子銅山の閉山後、この大山積神社の境内に建てられました。

この建築の屋根には一面にサツキが植えられ、5月には満開の花を咲かせます。一見すると「巨大な花壇」のようですが、この下は半地下の構造になっており、別子銅山の歴史や技術を後世に伝えるための様々な展示がなされています。このようなデザインを用いたのは、神社との調和に配慮したからでしょう。現在の屋上緑化を先取りした建築であり、また今治の「亀老山展望台」で建築家・隈研吾がみせたような「建築を隠す」手法を先取りしたものともいえるのではないでしょうか。

記念館の内部は(展示物のためでもありますが)照明が落とされ、薄暗い照明計画がなされています。銅山の内部を思わせるような空間が意図されたのでしょう。天井には一か所だけ天窓が設けられ、銅山の稼動許可日の5月9日の正午にのみ、ここから太陽の光が差し込むそうです。


設計:日建設計
所在地:新居浜市角野新田町3−13(地図
主要用途:記念館
構造:鉄筋コンクリート造
階数:地上2階
竣工:1975年
建築面積:946m2
延床面積:1054m2

利用案内:
営業時間 9:00-16:00
休業日 月曜日・祝日・年末年始