2009年7月26日日曜日

第8回 愛媛県県民文化会館

Ehime Prefectural Convention Hall
[image: "Ehime Prefectural Convention Hall" on flickr, by ida-10]


Ehime Prefectural Convention Hall
[image: "Ehime Prefectural Convention Hall" on flickr, by ida-10]


丹下健三(1913-2005)は、日本人の中でも最も活躍し、認知された建築家といえるでしょう。丹下は大阪府に生まれ、少年-青年期を愛媛県の今治で過ごしています。丹下が育った愛媛には今治市を中心に丹下の設計した建築が複数残されていますが、松山市にあるのがこの「愛媛県県民文化会館」です。

この建築の成り立ちを考えるにあたり、1953年にさかのぼることができるでしょうか。
1953年とは、愛媛の県庁所在地である松山の中心に、多目的ホール「愛媛県民館」ができた年です。

Ehime Convention Hall, Kenzo Tange Arch. & Ass. Yosikatu Tuboi in 1953.
愛媛県民館
[出典: SHINKENCHIKU Vol.29 JULY 1954(新建築 1954年7月号) ※Wikipediaより転載]


この愛媛県民館を設計したのが丹下健三(構造家として坪井善勝)でした。丹下はこの愛媛県民館で、丹下自身初となる日本建築学会賞を受賞しています。

しかしこの愛媛県民館は、音楽専門の施設でないことからも明らかではありますが、音響の悪さなどの問題もあり、松山の中心部と道後地区とのちょうど中間あたりにある現在地に、規模を新たに移されることになりました。そこで再度、丹下に仕事が任されることになったのです。

そうして1985年に完成した「愛媛県県民文化会館」は、3000席という西日本でも最大級のホールを有しています。ホールの大きさだけでなく、前面に設けられた大きな広場や石張りの外壁などをみるとその贅沢さが分かりますが、1980年代には、丹下自身も世界各地の仕事を手がける大御所建築家として有名になっていました。そうしたところからも、当時の愛媛県の力の入れようが分かるように思われます。



設計:丹下健三/丹下健三・都市・建築設計研究所
所在地:愛媛県松山市道後町2-5-1(地図
主要用途:多目的ホール
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
階数:地上5階・地下2階
建築面積:2,125.7m2
延床面積:41,400.39m2(パスポートセンターを除く)
竣工:1985年

2009年7月11日土曜日

第7回 愛媛県庁舎

Ehime Prefectural Government
[image: "Ehime Prefectural Government" on flickr, by ida-10]


Ehime Prefectural Government
[image: "Ehime Prefectural Government" on flickr, by ida-10]


愛媛県庁舎は、第6回で取り上げた「萬翠荘(1922年)」を設計した木子七郎が、1929年(昭和4年)に設計した庁舎建築です。

御影石を用いた外壁や左右対称で均整の取れたプロポーションからは、西洋の洋式主義的な建築を思わせます。建築の内外に施された様々な装飾も見所のひとつで、扉やアーチ窓の周りなどには、細やかな彫刻が施されています。ステンドグラスや、ドームへ至る艶かしい螺旋階段も見逃せません。このような細かな仕事からは、建設に際して多くの優れた職人が携わっていることを想像させます。

愛媛県庁舎が建てられた昭和初期は、海外から新しい「モダンデザイン」が伝えられると同時に、明治に入り西洋から導入された古典的な「洋式」が日本で独自の進化を遂げ、それらの両者が複雑に入り乱れた状況であったといえます。このような時代に、県庁舎のような重要で象徴的な建築のデザインをする際には、西洋の「洋式」の真似をすれば済むものではありません。つまり、建築家の力量こそが問われた時代といえるでしょう。

実際に、愛媛県庁舎の建築デザインは西洋の洋式風ではありますが、この建築と同じ「洋式」が西洋にあるわけではありません。ドーム状の屋根が乗っている庁舎建築も、これだけ立派なものは、恐らく日本では愛媛県庁舎が唯一のものではないでしょうか。

県庁舎という大きな仕事ですから、設計者の木子も、自らが活躍する大舞台として腕を振るったはずです。個人的には、ドーム屋根や窓に見られる連続したアーチなどの曲線のデザインからは愛媛の南国的なやわらかな雰囲気を感じますが、大阪を拠点とした木子が松山の印象として感じたものがデザインとして込められているようにも想像されます。



設計:木子七郎
所在地:愛媛県松山市一番町4-4-2(地図
構造:鉄筋コンクリート造
竣工:1929年
備考:予約をすれば見学が可能です。(外部リンク 愛媛県>県庁舎見学のご案内

2009年7月5日日曜日

第6回 萬翠荘(愛媛県美術館分館郷土美術館)

Bansuiso
[image: "Bansuiso" on flickr, by ida-10]


Bansuiso
[image: "Bansuiso" on flickr, by ida-10]


萬翠荘(ばんすいそう)は1922年(大正11年)に旧松山藩主久松家、第15代当主久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵の別邸として建てられた、フランス風の洋館です。現在は愛媛県美術館分館郷土美術館として使われています。

松山城の城山の麓に建つこの建築は、表通りから少し奥まったところに位置しますが、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放送にあわせ、隣接する「坂の上の雲ミュージアム」の建設とともに周辺が整備され、あらためて注目を集めるようになったように思われます。坂の上の雲ミュージアムもこの萬翠荘を望むように窓やテラスの配置を計画しています。

建設当時は社交の場として名士が集まったそうですが、屋根に葺かれた銅板や天然スレート、玄関扉の鳳凰のデザイン、ハワイへ特別注文したとされるステンドグラスなど、当時の贅を尽くした建築といえます。

また、この建築の先進性として、鉄筋コンクリート造であるということも挙げられるでしょう。日本に鉄筋コンクリート造の建築が建てられるようになったのは20世紀に入ってからで、愛媛県ではこの萬翠荘が最初の建築だといわれています。鉄筋コンクリート造の耐久性や耐震性が評価されるようになったのは1923年の関東大震災の後といわれますから、それ以前に建てられた萬翠荘は、そのデザインだけではなく、技術の上でも当時の最先端だったといえるでしょう。


設計:木子七郎
所在地:愛媛県松山市一番町3-3-7(地図
構造:鉄筋コンクリート造、屋根小屋組は鉄骨造
階数:地下1階、地上3階
建築面積:409.91m2
延床面積:887.58m2
竣工:1922年
備考:国重要文化財(2011年指定)、愛媛県指定有形文化財(1985年指定)